MOMOのインドネシア語&時々中国語学習&人生観

楽しく人生を自分の為に生きる道

お金の管理と過去の介護話と今後の話。

MOMOです。

 

 

暗い話ばかり、誰も見てないし、色々書いてます。色んな経緯は、ざっくり殴り書きしたけど、まー、感情の吐露みたいなもんね。

 

 

ちなみにね、うちのおかん、ちょい前から、まー、物忘れとか、ちょっと、おかしな事件も起こしたりで、今のところ、そこまで手がかかるわけではないけど、軽度の認知らしい。

 

 

だから、これから、最後の介護(もう一人のは終わってるし)が我が家には待ち受けてますが、それも想定してた話で、

 

 

我が家は、今は、お金に困ってるわけではないけど、

 

 

インフレや円安も相まって、中長期的に厳しい状況をこの国では、国民にさらに強いていくのは、引き続き必須で、もう、本当、どうにもならないよね。だって、糞だもん、この国の経済と政治に至るまで何もかも。

 

 

で、

 

 

自分は長らく自営してたけど、二階建ての別年金とか自分でつくったり、その他貯金もしてきて、まー、だからって不確実性しかない国と、世界だから、安心なわけじゃないけど、

 

 

唯一ラッキーだったのは、実家がド田舎ってわけでは(別に都会でも豪邸でもない)なかったから、

 

ちょうど、父が亡くなった際、その相続のタイミングで(司法書士すら使わず、自分で法務局行ったり、戸籍取ったり、やったわな。)、うまくやったし、

 

 

実家の整理って、なめてる人多いけど、本当、大変で、かなり、ごみまみれだったけど、家自体の手入れを自分も色々してたし、業者を使わず、10年くらいかけて、まー、父が亡くなってからしか、できなかったこともあるけど、

 

 

「物の処分」は、最低限、本当、色んな機会にやっておいてよかったです。

 

 

ちなみに、その実家の近所で戸建て孤独死が、売り払う前の10年くらいの間だけで、3軒くらいあってね、これ、別に、単身者ではなく全部元々既婚の子持ちの人だったんだよね。

 

 

子どもと疎遠になったりで、子ども自身の家庭も生活に余裕があったり、なかったり、結婚もね、最後、どっちかが絶対先になくなるからね、人間って最後一人になる可能性は、みんなあるわけで、

 

 

一人暮らしの高齢者って、別に生涯独身者に限らずたくさんいて、一応、実家のあった場所は、そんな東京都心から離れていない通勤可能圏内の首都圏で、4,5000万くらいは、それこそ小さな新築戸建てでもする地域で、東京に通ってた元リーマンも多かったけど、

 

 

市の南北問題があり、急速に超高齢化のほっぽりっぱの南と、色々施策をこらし、優遇してる北では若者世帯が増え、そのためにたくさんの箱ものに無駄な税金が使われ、意味のない名ばかり条例が連発されてて、でも、まったく、市民生活に貢献していないパフォーマンス大好き市議会と、

 

 

つい最近、元市長は、パワハラで有名になったけど、まぁ、今は知らないけど数年前まで、市全体では、転入も増えてはいたけど、南北格差はどんどん広がり、南側の廃れ具合がどんどんひどくなり、すごかったんだよね。(もちろん、実家は、南にあった。)

 

 

まぁ、首都圏のそこそこの市でこんな状況だから、全国考えればもっとすごいんだろうなとは思うね。(最近、また、新しい電車の乗り入れやら、いろいろしてた地域で、実情は、これだからね。)

 

 

話戻して、うまく実家を処分し、住み替えし、近郊のもう少し将来性のある住みよい地域で更に小さな新築を数年前に購入し、自分らの出費もそれなりにあったけど、現金一括にしたから、ローンは全くなくしていない。

 

 

まぁ、しばらく、固定資産税とかそこそこ高いのが難点だけど。(初めの数年は若干安いけど、その後、どかんと上がって、さらに、老後になるころには、価値がなくなるから、老後に向け、最低レベルになるのを見越して買ったんだけど。)

 

 

ちなみに、持ち家の場合、修繕やら自分で計画することが必要だけど、今後、10年以上経過で必要な修繕費、その後最終の20年以上経過(これがもう、自分的に最後の修繕。あとは、死ぬまで持ってくれれば、よほど天災や設備が壊れなきゃ無視する予定。)の修繕費も、すでに多めに老後費用と別に、概算確保(貯金)してて、

 

 

あえて小さな家にしたのも、前の家も広いわけじゃないけど、庭の管理が大変だったし、今のうちも小さな小さな庭はあるけど、それには自分で防草シートやなんちゃって人口芝やら砂利を敷き、

 

 

将来、家庭菜園でもやりたければ、できないわけでもない程度のものにし、光熱費は、相当下がったし、そういう家計管理はうまい方だと自負してる。

 

 

自営時代もやめた今も国民年金だけしかやってないとか、まったくそういうわけでもなく(まー、その辺の年間のまとめ払いとか、自営をやめる前、最後の支払年齢まで引き落としに支障ない金額を口座にすでに入れてるし(糞改正が決まった場合の予定にも対応済み))、

 

 

廃業後は、扶養に入れるうちは入ってるから、ともかく、あほみたいな国民健康保険に苦しめられなくなった分、楽だし、

 

 

今後、バイトしても、今、口座からひかれてる自己で積み立てた老後の2階建て部分を、貯金減らさずにできればいいよなくらいで(他にも貯金はあるし)、

 

 

日々、これからバイトしても、別にほしいものもないし、FPに相談しなくても、FP持ってるし、社労士資格もちだし、

 

 

もう一人の家族がフルタイムでバリバリ働いていて、おかんの年金なんてスズメの涙だけど、家族3人、成人しかいないし、

 

 

将来は、さらに医療費やらなんやらかかるけど、それは、別に貯めてあるし、今は、なにもなければ、基本、生活費、光熱費込みで、月10万程度で、家族3人で生活できるんだよね。

 

 

仮に、生活費を毎月15万としててね、3人いるから、一人5万だけど、その中から、おかんが好きな物を買ったりできるよう(浪費家なので、お金の管理が苦手で、長らく自分が別居してた時も同居の今も家計管理を担当してる)、月3万をその中から渡してて、それは、わけのわからんものにつかってるけど、その辺の自由は、あってもよくて、

 

 

あまった生活費分は、常に、予備費として日々積み立て(緊急医療費やら固定資産税の積み立てだったり(10年以上は、貯まってる))、それ以外にも、長期入院したりってことがあっても、ある程度、大丈夫なように別口座にも他のお金を作ってきたし、

 

 

世界情勢をみて、まー、投資ってのも、色々不確実性はあるけど、家族の一人が株やらなんやらいろいろやってて、

 

 

まぁ、でも、そもそも、これって、自分が自営で親の面倒も見れたからできたわけで、

 

 

今から遠いい会社に再び勤めはじめたら、それこそ、色んな支障がでてくるし、日本の転職市場を色々見たけど、

 

 

結論的に、本当、もう、色々いいやと結論付けました。

 

 

まずね、勤務地希望が、都内(東京23区)でない時点で、大手の転職サイトの求人や採用コンサルタントの紹介求人ってほとんどが大都市圏ばかりで、履歴がある程度、マッチしても、意味ないし、持ってる求人って、大半、そういうのばっかで、地元のが少ないんだわ。

 

 

あと、思うに、無理に都内に通っても、若い時、自分も東京23区で仕事をしてたことがあるから思うんだけど、色々別にお金がさらにかかる(美容院、服飾費、化粧品やら、交際費やら)し、

 

 

転職アドバイザーに受けろ受けろと言われたって、そんなアドバイス、意味もないだけで時間の無駄。

 

 

そもそも、しがらみなく、若いころのように、転勤・長時間の通勤時間をいとわず、働ける求職者ってわけでも自分もなく、そんな求人を大量に紹介されるだけのサービスの利用は無駄だし、

 

 

リモートワークってのも、コロナ禍で、自営業してたから、一時、一部の客先とかとZoom使って、話してたりしてたけど、ピンとこないわ。

 

 

給与額もさ、

 

 

今更、ぶっちゃけ、どんなに金をつまれても、片方働いてるし、家のこともあるし、たとえば、最近も、大した手術じゃないけどおかんが先日してね、その術後経過をみるのに、病院についてったり、

 

 

デイサービスか、亡くなったおとんは、拒否反応あったりで、まったく利用すらもできず(ぶっちゃけ、精神疾患と65歳過ぎて診断された人だから、介護保険料全部払い損でなんのサービスも使えなかったんだけど)だったけど、

 

 

おかんは、あんま抵抗とかない人なので、いまのうちから通った方が、環境変化に、悪化してからは、本人も適応が難しくなるし、普通に、楽しいらしいから、通ってもらってます。

 

 

ただ、それでも、介護保険の制度ってのも、利用してると、ケアマネさんが家にきたり、病院関係も、毎月の数回の色んな、目だ、耳だ、腰だとか以外に、年に数回、突然、入院とかってのも、ある。

 

 

もう一人の家族がフルタイムで働きながらも、できる限りは、手伝ってくれるから、それでも、自分は恵まれてるし、そもそも医療福祉系の仕事をしてるから、職場も理解があり、本当、介護保険すら使えなかった家族介護の時は、

 

 

ちょっと長い話になりますが、

 

 

地域包括支援センターなんかに行っても、長年なんもしてくれなくて、弱り始めたきっかけは、なくなる7,8年前に胃がんで胃を全摘してからなんだけど(この時も、病院に連れていくのに大変で、入院中も何度も呼び出しきたり、本当、大変だったよな)、

 

 

ともかく、昔から、拒否反応の強い人で、色々食事の工夫は家族もしてたけど、どんどん食欲もなくなり、持病の糖尿病もあり(こっちも治療拒否)で、

 

 

下の世話も必要になり、歩くこともできない状態になり、みるみる体重が最後には、減ってきて、病院に行く説得を何度も本人にするわけだけど、よほどのことがない限り、ただかたくなに拒否するだけで、

 

 

介護支援サービスって、基本、本人が拒否する以上は、どこに相談言っても、利用できなくて、しかも、近所のじいさん、ばーさんは、たまに、その説得やらしているときに喧嘩する声をきいて、

 

 

うわさ話に花をさかせてたようで、白い目、ずっと見られ続けてきたね。

 

 

まー、そういうご近所だから、父が亡くなった時も、別に、線香すらもあげにくるわけでもなく、自治会もなばかりで、金だけ取られ、やめたくてもなかなかやめられず、押し付けやすいのかおかんが、毎回、年寄りでも若い方だからなのか、色々な雑務を押し付けられてたけど、本当、意味なかったし、最低だったよな。

 

 

でも、まぁ、ある日、いよいよ危ないと、なんとか説得し、急性期の病院に連れていったら、即入院になり、そこで、初めて、精神疾患統合失調症)と診断され、

 

 

その後、入院して1か月もしないうち(たしか、1,2週間)、やっと、本人も、少し、顔色がよくなって、体力回復したいとか、前向きな話を言うようになってきた矢先に、

 

 

すぐ、転院先を探せと病院に言われ、その急性期の病院のソーシャルワーカーが、月30数万~50万かかる精神病院を紹介してきたわけですよ。

 

 

まーでも、

 

 

介護保険は利用できないって判断で、65歳以上で診断ついたから、なんら公的な援助もつかえないから仕方ないけど、

 

 

入院して、やっと、調子が少し良くなり、「元気になりたい」って言ってる本人に、その転院の話を伝えなければならなくて、それでかえって、不穏がひどくなり、

 

 

それからは、「家に戻りたい」って言うようになって、せっかく回復してたのが、また、色々な治療(点滴)を拒否し、再度、弱り始め、

 

 

内科の先生は、身体はやっぱり、ひどい状態(急性期の病院にかかって、すぐ、即入院だったからね。)というけれど、主治医は、精神科医になってて、何度も、病院のソーシャルワーカーと、それと地域医包括支援センターの人なんかと、いっしょに話しても、

 

 

ただ、自宅に帰したら、介護保険は使えない介護になるとか、ご飯が食べられる状態ならまだしも、その時の体重は、180㎝以上ある大柄の人間が40キロ前半になってて、それでも、それを、ただ、家族で判断しろで、相談は終わり(?)。

 

 

普通に、考えて、どう考えても自宅介護はこれ以上無理だったわけですよ。

 

 

急性期って、まぁ、3ヶ月程度で追い出されるのは知ってたけど、本人がやっと病院にきて、現実、医療も必要なんだから、1か月もたたないうちに、すぐに転院の話を弱ってる患者にするのも、やめてほしかったけど、

 

 

家族の負担も全く考えず、介護保険もなにも使えないと言われただけで、それが、どれくらの期間になるのかもまったくわからない中、主治医の精神科医がリアルに最低で、その状況で、家族とソーシャルワーカーのカウンセリングの場で、

 

 

「お父さんは、10年くらい持つかもしれないし、まず、家を売って、お金をつくったら。」

 

 

とか、笑いながら言ってたのは、一生忘れないね。

 

 

父は、自営でさ、ほぼ、ずっと国民年金だけで(途中、払ってない期間もたくさんある)、診断された統合失調症は、わかくして発症してたらしいけど、

 

 

そのせいか、昔から、家庭内暴力アリーの(そういや、幼稚園で、あざだらけの子供だったよな自分。まー、優しいご近所は、誰もなんにも昔からしてくれなかったけど。)、大学の時は、借りた育英会奨学金の使い込みまでされたり、まー、大変だったわけです。

 

 

で、その時、母親は、まだ、仕事をしてたけど、実際、我が家の大黒柱って、子どもの頃から母で、バブルはじけ、その後、しばらくして、高校の時だったかな、長年働いてた工場の仕事をリストラされ(女性は、整理解雇の対象に簡単になった。)、その後も、入った会社も倒産したり、当時は、アルバイトを掛け持ちして、がんばって自分の老後の貯金を作ってて、

 

 

今後、母の老後もあるわけで、

 

 

自分も氷河期世代で、苦労して自営業をやりながらで、途方に暮れましたよ。

 

 

でも、その時、家族が務めてた医療機関の勤務先のソーシャルワーカーの人が、個人的に、すごい親身になって相談にのってくれましてね、

 

 

20年以上家族がその病院に勤めてたからもあるけど、

 

 

系列の父の対応もできる病院に、従業員の家族だってことで、色々割引してくれ、まぁ、それでも月に20万弱は必要だったけど、家に帰ってきても、身体もひどく衰弱してて、お風呂もうちは2階で入れられないし、トイレも、食事もままならない中、介護保険サービスも全く使えないわけで、もう、どうにもならないし、

 

 

見学に行き、そこなら、任せられるかなと思い、

 

 

急性期の病院から転院し、3日もたたないうちに、既に、身体に相当がたがきてる状態だったんでしょうが、帰らぬ人になりました。

 

 

転院先で入院時検査した時にも、もう、身体はボロボロで、転院先の内科と精神科の先生は、すごくいい人だったし、「転院」をただ急がせ、暴言はなった、あの急性期の市立病院の対応のひどさに呆れたけど、

 

 

でも、これが今の日本の介護医療の現実で、今後、さらに、この状況って、ひどくなるんだよね。

 

 

父は、まだ、それでも、幸せだったと思うし、亡くなる直前、病院から電話がかかってきて、到着したときは、もう、話もできなくなってて、ただ、モニターにつながれてたけど、

 

 

最後に、声もかけられたし、おかしな延命は、本人も望まないと思い、しなかったけど、できる限りはしたと思うし、最後にお世話になった病院のスタッフや先生には、本当に救われた。

 

 

で、その後、父の葬儀(家族葬)も、まー、自分が中心でやったわけだけど、忌引きもくそもない自営だから、仕事はちょうど繁忙期中だったのもあり、父が亡くなった日も離職票やらがんがんにつくり、さすがに、訪問予定の会社さんのその週の日程は、ずらしたりはしたけど、

 

 

時は、6月真ん中、年度更新とこれから迫る算定基礎の準備の真っ最中で、

 

 

これを経て、その後の人生について、色々考えたわけですよ。(その後、家の売却、住み替え、インボイス廃業するわけですが。)

 

 

インボイスの話は、昨年の直前になって、長い間、触れもしなかったマスコミが少し、おざなりに騒いだりはしてたけど、

 

 

自分は、父がなくなったその前後には、内容を把握してて(腐っても、税改正と社保改正動向は、政府広報やら官報を見る仕事だったし。)、

 

 

業界も法人化の波や大規模事務所時代に突入しそうだったし、まー、小さな事務所って、今後どうなるのかな?ってのもあったし、人を雇ったり、仕事のやり方をかえれば、売り上げを一時的に上げたりはできそうだったけど、

 

 

日本の社会制度にもはや誇りってのもないし、

 

 

人事の仕事ってのにも、限界に感じ(まぁ、会社自体の在り方というのか、人事部を擁護するわけじゃないけど、コストカットで、人事部って、少数精鋭、アウトソーシングも主流となってたり、大きな会社でも、人事部の要員が極端に少なかったり、激務を同世代の課長がしてるケースも多かったし。)

 

 

そこまでして、続ける価値がこの仕事にあるのかと、色々考え、費用対効果っていうか、経費も電子化とか法改正の対応で、個人事業には重くなってきてたし、未来もまぁ、後5年ならしがみついてたかもだけど、あと20年と考えると、続けること自体が、重荷になりそうに感じたんだよね。(負債抱えてにっちもさっちもいかなくなったら、大変だし。)

 

 

それに、これから大量にこれまでのような働き方ができない非正規も多い、中年が現役世代の人口ボリュームゾーンになるけど、そんな中、サラリーマンの介護休業制度ですら、大昔のまんまで大した議論もされない現実逃避な本邦で、助けてくれるのは、もう、自分と家族だけの世界で、

 

 

中には、毒親だから、捨てればいいとかネットではみかけるけど、直面した立場でいうけど、そんな簡単にできないし、この国の未来って、これから、本当、地獄だって、思ったし、大企業なんかも、なんか根本的な解決なんか考えず、その場その場の制度変更を繰り返し、思うに、子育て支援がー、若者がーと、今は、騒いで、大多数を無視するコンサル展開を長年展開してきたのが、

 

 

日本のコンサル業、士業も含め、自分たちの業界もとことん役に立たない糞稼業に、思ったのは、日本の20年の現状を見て思う。

 

 

ある意味、ハイエナみたいな人も多い。

 

 

同世代って、これから自分の老後不安をもろに抱えつつ、既婚であれ、単身であれ、逆に既婚の場合は、場合によって、4人の介護を抱えていくことになるわけで、

 

 

うちは、第一弾が早かったし、医療機関勤務の家族がいたから救われたけど、うまくいえないけど、求人みても、その世代が安心して働けるようなサポートもろくになく、経歴が評価されないとか、それ以前に、

 

 

国の制度も申し訳ないけど、雇用保険の介護休業なんて、介護の方針決めるだけの介護休業期間しか、とれないし、その中で、マネージメントの仕事をやれとか、女性活躍だとか、

 

 

じゃぁ、誰が、入院手続したり、介護していくわけですか?結構、負担すごかったんだよね、とも思うし、この仕事、すっごいやりたいとか、そんなわけでもないけど、生活のためにと、

 

 

この20年で大量の非正規人口が増え、現役で働いていても、日々の暮らしもきつい人も多い中、思うに、別に、安定職についててもこれからずっと、今の同じ働き方なんかできないし、

 

 

副業だ、起業だってのも、申し訳ないけど、まったくその環境にも恵まれない国で、時代の潮流にのり、例えば、自分は、士業だったから、

 

 

外国人労働者の支援やら、助成金補助金とか、まー、儲けようと思えば、一時的には儲ける方法は知っていても、それらに、色んな弊害が世界中で起こってる中、

 

 

見ないふりして、それに自ら加担して、20年後のこの国って、どうなってるのかなとかと思うと、やる気もでず、

 

 

求人見ると、外国語がそこそこできるから、たまに、不動産業とかのスカウトも来て、最近、中国系富裕層から、今は、台湾・東南アジアの富裕層向けの投資不動産の販売なんかくるんだけど、

 

 

マッチングしてても、そういう仕事にやる気は出ないし、

 

 

この稼ぎ方って永遠でもないけど、それでもたとえば子供がいて、お金がなければ、一時的にでも稼げるからと、そういう職に就く選択する人もいるんだろうけど、

 

 

それが資本主義だって、割り切って加担するのも、今の日本人のモラルとしては、あってるのかもしれないけど、こういう企業活動が、社会貢献に結び付くのかといえば、まったく、その働く意義が見出せないんだよね。

 

 

家族が医療福祉業にいて、現場はたくさん頑張ってても、たとえば、足りないっていわれてる介護士の国家資格の介護福祉士なんかも、人手不足がとっくに予想される前から、なるのに何年か前より、さらに、たくさん「お金」がかかるようになってたり、

 

 

外国人を入れるのにたくさんのお金をつぎ込んで、自国の労働人口ボリュームゾーンをぶっ潰し続け、

 

 

そっちの関係の仕事もすすめられたことあるけど、でも、それで日本と海外の懸け橋になるとか、勘違いがすぎるように思うし、根柢の今の雇用問題って、どこにあるのかも考えようとも、議論しようともしない社会で、稼ぐために、そんな仕事に無垢に燃えるほど、無知なわけでもないし

 

 

話が広がりましたがね、コロナ禍以前から、業界的にも厳しい会社の社長さんが言ってたんだけど、

 

 

「事業って、畳むのがむしろ難いんだよ。」

 

 

って、本当。

 

 

自分はね、畳んで本当、正解だったけど、サラリーマンみたく、簡単に退職すりゃいいってわけじゃないから、負債があったりして、畳みたくても、簡単に畳めないで、地獄を見てる人もたくさん見てきて、

 

 

黒字経営のいい時期にやめたなーと、今の現状をみながら、すごく感じます。

 

 

色々書いたけど、無理にお金を稼ぐ必要がないってめぐまれた環境に居る今だから、これは、言えることだけど、

 

 

本当に、苦しいと思ってる人や援助が必要な人を無視して、あほみたいに世代や年齢、性別で区切った分断をあおる経済・政治をいつまで続けてるのかと本当に思うし、もはや、企業にしても、従業員が考えてることもわからなければ、エンドユーザーが望むことも無視し、世の中むっちゃくちゃにしてるようにしか思えなくなるね。