まだ、ブラックMOMOです。
個人の独り言ですが、うち、貧乏だったから、MOMOは、その昔、旧育英会の奨学金を借りて大学に行き、アルバイトしまくりの苦学生でした。
でも、勉強したくて大学に行ったから、大学の成績は優秀で、学部で表彰されたり、まー、公立ではない私立だけど、そこそこの大学には行ってました。
ただ、今思うと、超氷河期時代って、学歴あっても、かえって女は年食うだけで、学歴付けても無駄で、若い方がよいとかで、さらに就職が難しくなった負のループみたいな時代だった。
成績が良かったからね、教授にすすめられ、卒業する前、海外の一応、名門大学院を受けたんだけど、そこがなんか給付くれてさ、
授業料ほぼ無料になったし(ちなみに、当時、日本は日本人の留学生には、給付なんかほとんどなかった。まぁ、今は違うらしいけど、当時も、今も、外国人留学生には昔からばらまきまくってたw)、
今となっては、ラッキーだったのか、不幸だったのかわからないけど、
(アッ、ちなみにバブルは、会社負担で留学とさせたりとかあったらしいけど、そんなのないし、そもそも、普通に入社した人も、ほぼ、まともな研修すらもなく、現場にぶち込み世代だよねw)
院がTAの仕事もくれ、航空券分だけバイトし(最賃いくらだったかな?東京で、800円とか?だったかな?ちなみに、高校の頃、地元は600円代の時代)、学部卒業後に行ったのね。
まぁ、むこうでの経験は、一生の宝物で、大学院時代の友だちとは、今も、つながってるけど、
日本でその後生きていくには、これが悲劇を招いたと、今から思うと、本当、あの時、日本に帰ってこないつもりで、当時、インドネシア人の友達がカナダで死ぬ気で就活してたように、覚悟決めて、この国をその時、出てればよかったとは思うね。
ちなみに、詳細は書かないけど、その昔、つきあってた氷河期日本人彼氏は、若くして、自●した。
院卒業後、奨学金の借金を300万だか抱え、海外院卒って、卒業がずれるから、あれよあれよで、日本で既卒扱いになり、
通常2年かかるプログラムを1年でやりきり(同じ学部に20名くらいいたけど、3人だけだったよ、1年でやりきったの。)、
既卒にならないよう、卒業前に、数百ページの英語論文を書きながら、一時帰国し、海外大卒用のキャリアフォーラムにも東京で参加したけど、
その当時の海外大卒向けのフォーラムって、国内採用が既に終わり、若干名、雇うかも?やっぱ、雇わないかものレベルで、
まー、交換留学くらいが好きじゃないですか、日本企業って、昔から。
当時、今は落ち目の日本の大企業の製造業ブースに大量の留学組の若者が集まってて、女子なんか名門大卒でもなんでもはなから論外で、男子も相当きつかったけど、
その他参加企業で、他に大手といえば「消費者金融」なんてのも花盛りの頃で、SEとかで若者使いつぶそうとする会社とか、まー、そんなのが溢れてた時代でしたね。そもそも、求人の質が今の若者とは全く違ってた。
その夏、卒論を抱えながら、たくさんのエントリーシートを書いて、採用するか否かも未定の会社の面接(圧迫面接)を面接に至った会社はすべて受け、毎日、リクルートスーツ着て、擦り切れるくらい歩いて、それでも、卒業までになんにも決まらず、
その後はもう「中途」採用枠しかなく、
いったんカナダに戻り、thesis defenseを終え、その後、就活のため、卒業式までは残ることもでず、写真だけを記念にむこうで友達ととって、
とんぼ返りで日本に帰国し、奨学金の返済も開始になるから、なんとかなにかを見つけねばと、
若者向けの支援を渋谷のハローワークがしてると聞きつけ、遠方から趣き、
でも、ただ、支援担当のハロワのおばちゃんがいるだけで、パソコンが数台あり、勝手に自分で検索し、好きなところをみつけ、勝手に受けてくればってだけの支援で、
とある雨の日に、従業員3人くらいのマンションの一室でやってる会社の面接を受けたけど、
そこも、結果は、ダメで、
バイトですらも人材を選り好みするような時代で、
そういえば、東京キャリアフォーラムであった日台ハーフの日本人は、なんか、中国ブームだかで、
就職がそれなりに、きまってたのを思い出し、
ネットで探した、台湾での実習生の仕事に飛びつき、US$700の給与だったけど、寮やら無料だったし、賄もあり、まぁ、今から思えば、技能実習生の方が条件いいだろ?みたいなレベルの感じだったけど、ともかく、行ったんだよね。
で、そん時さ、実習先のむこうのローカル会社に、たまに、日本の大手企業の派遣だかの同性代(若干上だったかな?)の日本人女子(理系)が長期出張で何名かきててさ、
プロジェクトベースの採用らしく、次の仕事が決まってないとかで、お互いの将来の不安をよく語ったよ。まぁ、その台湾で働いてた職場自体、もうなくなっちゃったけど。
話がそれましたが、その後、日本で契約社員➡再び、海外就職➡日本で正社員の紆余曲折を経て、
片親の具合が悪くなったのも日本帰国の理由にはあって、キャリアなんか考える余裕もない中、たまたま、外資人事の仕事についてたとき(すぐに他の部署に飛ばされたけど)、人事系国家資格があるのを知って、4カ月くらい必死に勉強してとり、それから、ちょこっと法律事務所とかで修行してから、起業し、
で、その頃から、教育無償化だ~、若者に教育を~とか、大学の学費の無償化を~、奨学金の借金チャラに~とか、ひどく騒いでて、
なんかさ、率直に、学歴つけた人材山のように2000年代前後に、捨ててきて、自力で、やっと、負債を返したら、今度は、他人の教育費を負担しろとか、ざけんなと思ったね。
でもね、自分は、子どもいないけど、同世代の子育て世帯の苦労もたくさん聞いてて、別に、子育て世帯が全部敵とか、思わないし、
なんというか、同世代の子育て世帯ってのも支援をいっつも外され続け、
人事系の国家資格で15年働いてきて、例えば、育児休業とか、自分らの時代は「妊娠したらやめろ」の世界で、新卒の面接時にも、それに絡んだ嫌な質問とかさんざんされ、
女性活躍とか利権絡みの恵まれた一部の女性が輝く世界~って、宣伝しているの見てて、本当、糞ばかばかしく思うんだよね。
育休の代替要員ってのも、「派遣」が主流だったけど、最近、求人見てたら、今は、「契約社員」の募集もあったりで、
たまたま最近見かけた育児休業期間中の正職員(公務員)の代替に、契約社員を募集し、その業務をまんま任期付きの職員にやらせるみたいだけど、
契約社員ってさ、会社の都合で期間を定めるもんで、ヨーロッパとか、他の国もそうらしいけど、そういう契約社員の
給与は、正社員より、むしろ高くするとこも多く、
正職員並みの仕事を不安定雇用でさせるのに、正職員以下の給与水準って、そもそもおかしいし、
「正社員」「契約社員」「派遣社員」「パート、アルバイト」(※「請負」「フリーランス」「業務委託」)
色んな働き方があっても、会社により、仕事内容や指示の系統がかわらない会社もあり、ただの、身分制度みたいな働かせ方に思うし、
育休の代替要員とか、特に、その代替要員ってのには、ずいぶん差別的なことをするんだなとしか、正直、思えなかったし、世の中には、守られる人と、守らないでむしろただ利用して使い捨てる人ってのが、わが国には存在するんだなと感じてましたね。
育休の時に手厚く支援とか、好きじゃないですか、この国。
仕事柄、保育園とか無理に落ちるところに応募してた人も、たくさんいたの知ってるし、つわもので、2年も育休MAXでとり、新しい転職先に「職場復帰」とかもいたけど、
出産って喜ばしいけど、「お互いさま」って概念もなくなり、その制度を支え、不安定な雇用を強いられてる人の待遇の問題には、世の中はその焦点をまったく当てないのが本当おかしくて、
社会の風潮で、子育て支援カードみたいなのを当事者の子育て世帯よりも、むしろ、政治や企業が利用しているだけで、
やたらその支援を手厚くアピールすればするほど、それを支えてくれてる人に、なんのねぎらいもないのかなとは、本当に思うし、
賃金って、本来、労働の対価に支払われるわけなので、子育て支援って、労働の対価として支払われるものでもないし、
その昔、
家族手当とか、廃止したりする企業がはやりで結構あったけど、
その時代の風潮で、賃金の決定方法自体がおかしなことになり、そもそも賃金制度とか、もうさ、どこも別に、年功序列でも、能力性でもなんでもなく、
若手がほしいから、若手の給与だけあげたりも、最近、はやりで、他とのバランスがめちゃくちゃになってて、やる気をなくしてる中堅の話もリアルに聞いたし、
子育て世帯支援ブームで、一部の層をやたら、優遇したり、氷河期の頃は、家族手当やいろんな手当を削ったり、
給与をあげるのはいいことなんでしょうが、
そもそも何を基準に給与を決めてるのか、その賃金制度そのものの根幹が、もはや、崩壊し、評価にしても賃金にしても、ルールっがあるようでない会社ばっかに感じるね。
(最近、名ばかり正社員も横行してるし、正社員ってのも、個人的に、別にもはや守られてもいないようにも思うし、やりたい放題に行き当たりばったりに色んなルールもくそもへったくれもない感じがするけど…。)
ちなみに、介護も自分は一発目がはやく、起業した当時、そもそも親の具合が悪くなったりで、在宅でもできる仕事を親の介護しながら、起業後最初の10年は並行でやり、
今は、売り払い引っ越したけど、当時、住んでた実家の地域が高齢者がとにかく多い地域で、自営業とかしてるのを知らないで、
いろんな偏見もったじーさん、ばーさんに、すごいいろんなこと言われたりして、でも、別に、だれかの支援すらも受けず、介護にしても、親の葬式も、実家の処分も、全部、自分でやって、
第一弾の介護がやっと終わったと思ったら(まぁ、亡くなったってことだけど)、
世間が、ヤングケアラーが~~~~とか騒いで、…なんとうか、どこまであほなんだろうと思うよ、この国。
いや、別に、ヤングじゃなくても、介護で大変な人って、世の中にたくさんいるわけで、なんで全体を考えないのかが反吐が出る。
それに、
日本の社会人は勉強しないとかいうけど、自分の中国語も、ずっと社会に出てからの独学だし、国家資格も独学でとったし、他にも仕事関連の様々な資格とか、経理の知識とか、
誰に教わったわけでなく、自分で学んで
同世代の数少ない大企業勤務のリーマンの知り合いも、上下世代はあんま知らないし、人によるんだろうけど、
会社の研修なんてのもまともに長らくなっかた世代だから、みんなすごい努力してる人、たくさん知ってますけど、
自分の場合、30代の終わり頃父がなくなり、40歳過ぎたころから、もう、どうでもよくなり、同じように思う同世代の知り合いの話もたまに聞く。
まぁ、例えば、英語もだけど、入り口違えば、同じ能力や経験あっても、給与もさして高くなるわけでもなければ、ただ、こきつかわれたりするし、中国語は、資格自体、つい最近まで取ろうとも思ってなかったけど、
これには、理由もあってね、そもそも、そこそこ話せても、レール外れた氷河期世代には、あまりメリットってそこまでなかったんだよね。
日本ってさ、2000年代からアジアの留学生をたくさん増やし、その昔、台湾人の大学院留学生と一時付き合ってたことがあるけど、
まー、本人には、言わなかったけど、日本語も大してうまくはなかったし、3流の日本の大学院卒だったけど、そういう人らをこぞって雇う日本企業はたくさんあり、
日本人の学卒や院卒が氷河期の中、若者は、甘えるなって切り捨てたし、いくら頑張ってもね、ネイティブ好きだしね。
製造業とか、たまに大卒は現場仕事をやりたがらないとか、なんか色々当時の若者をせめる人もみるけど、
普通に思うに、請負➡派遣に変更とか、「期間工」なんて言葉もはやりましたが、形態かえて、あの手この手で、搾取しまくるからなんじゃないのかね。
なんか、そういう現場の人より、えらいじゃん、ホワイトカラーの仕事できないおっさんって。
あがめられ、失敗しても、失敗ですら、その言い訳をたくさんの人が唱え、YESマンばっかで、30年近く、こんな国なんだからさ。
本当、面白いんだけど、能力主義といいながら(これから能力主義の時代って、2000年ごろ、騒いでたよな。)、まだまだ新卒採用を熱心に続け、ジョブ型採用といいつつ、「未経験」の若手向け求人まっさかりで、もうさ、この30年近く、国力落としまくり、雇用破壊し、さらになにがしたいのかさっぱりわかんないね。
まぁ、2000年頃はさ、高度経済成長期みたいな夢をはせ、東アジアの各国に投資して、アジアの若者を必死に育てまくり、自国の若者を捨て、最近、若者がーっていいながらも、今度は、ターゲットが東南アジア系になるのかね。
あの当時の求人見てて思ったけど、中国語できても、ライバルはネイティブでさ、中国語で仕事するって、案外、日本人向けでは国内求人って、多くないもんだし、今も、そこまで数がないね。
まぁ、入り口が違えば、その後、いかに努力しようが、日本人の場合、例外はあっても、たいていは、何者にもなれず、アジアの留学生は、当時は、比較的楽に日本で正社員になったり、研究者になったりって例もたくさんあるし、
その時、捨てた日本人は、個人がいかに努力をしても、実践の場にはずっと立てないわけで、そのうち、
努力をやめるか、
趣味で続けるか、
割り切って、しがらみ捨て、海外にでもいくかの選択になる。
英語教育も、相変わらずすっごい無駄な金を使って、騒ぐけど、本当、利権ばっかで、糞みたいなテスト受けさせられ、そのTOEICで990点叩き出そうが、氷河期の給与は、入り口が違えばそのまんま。
悪いが、新卒のときも、超高スコアだったし、まー、別にこんなテストで点が高いから、語学の運用能力が高いとも思わないけど、かえって、英語が下手にできると、安い給与で、うまくその能力を安く使われ、できない方が楽なんじゃないかと思ったこともあったし、
話とぶけど、むかし、英語もろくに話せない、仕事もできない駐在員(たぶんバブル世代)の世話(英語の通訳とか)をまー、本業は営業職だけど、東南アジアでしてて、
なんというか、給与額の格差が半端なくても、日本人の上世代って、外国人より、日本人の現地採用には、要求すごくて、
まー、当時、むこうで日系に入社しちゃったのが失敗で、最初、採用してくれた会社の駐在員は、メンタルいかれ、シンガポールついたら、日本に知らないうちに帰ってて、責任者不在の中で仕事をし、
島内で、別の会社に転職したら、次の会社は、日本のバブル組の能無しの英語できない人材を送り込んできて、
まー、悪い人ではなかったけど、日本で就職なくて、海外にスーツケース一つで単身で20代後半だったし、いろんな思いを抱えながら、
たくさんのそんな日本人女子がその頃、自分以外にも異国の地に働いていて、世の中(日本)って、こんなもんだよな、とか悟ったね。
話し戻して、介護してた父が亡くなった開業10年目ごろから、今度は、
インボイスだ~、
デジタル化だ~、
と振りまわされまくって、社保業務って、なんていうのか利権絡みもたくさんあり、なんか、最近の法律改正とか制度とか、
まるで、それをPRするような仕事ってのも、なんか嫌気さしてたし、いろんな業界の不正とか、もう、ずいぶん前から色々聞いてたし、
介護も第一弾が終わり、奨学金も返し、実家の整理もしたし、20代から無駄なお金を使わない生活してお金もたまったし、家は現金で住み替えだけど買ったし、
顧客も引きついでくれる人もいたし、とりあえず、一足先に、逃げたんだよね~。
リアルにやめたときは、東南アジアにまた行きたいなーとか、しばらく、真剣に考えてたんだけど、
今は、なにをしたいとかも、あんまない。
介護第2弾にも、足を突っ込み始めてるのもあるけど、昔の大変さはもうなく、子ども作らなかったからもあるけど、お金もある程度たまったし、家の環境も住み替えし、バリアフリーの新築になり、
以前のうるさい高齢者のご近所の白い目からも逃れられ、やる気はないけど、安定してる。
ただね、外野にまた、この安定をいつか壊されたりするのかなーとか、うーん、仕事から離れ、時間がある分、色々考えますね。
基本、テレビもみないし、今は、昔みたいに、糞みたいな法改正もおわなくてよい立場になり、前よりずっと楽で、
別に、今更、国やらになにか支援してくれとか、そんなのは思わないし、そもそも今は、困ってないけど、
いい加減さ、これ以上、何の恩恵もないのに、ただ搾取されんのは、本当勘弁で、少子化とか、別に、どうでもいいし、たしか自分らが若いころは、日本の人口は多すぎるとかさんざん言って、過去の若者をぶっ潰して、この結果なわけで、
その責任は、政治やエリートにあるわけで、
まず、一度でいいから、まともにそいつらが反省しろよと思うし、無党派で、こんな国の与野党どっちも、嫌いだし、日本の大企業も含め、
お前らどこ向いて、政治や経済回してんだよって、本当に思うし、
24歳卒業時➡すでにおばちゃん 扱いされ、
当時、子どもを産む女性の性を、どんだけ、さげすんで苦しめたんだよ。
今度は、その被害者に、少子化対策で、さらに罰ゲームとか、もうさ、糞な日本人のエリート集団の能無しが、勝手に基金でも作って勝手にやれよと思うし、
どうせ、名ばかり少子化対策ってのは、子育て世帯にも金はいかず、その金もお友達利権にいくだけだろうし、本当に迷惑。
もうね、年齢「差別」ってのも、死ぬまでやらされんのもいい加減にしてほしいし、本当、いつか、こんな糞な国、また出たいと思いながら、
日々、心の中で妄想しながら、明日からまた、勉強頑張ろうと思います。
(これにて、暴言をしばらく控えます。)