MOMOです。
語学を学んでいる理由って、なにかな?と考えると、多分、若い人とは違うね。
インドネシア語に興味を持ったのは、自分の場合、インドネシア人の友達が昔カナダの大学院にいたときにいてね、
まー、男の子だったんだけど、すっげー頭良くて、まじめな子で(あっ、でも、約束の時間には、いつも3時間くらい常に遅れてくる人で、慣れてからは3時間後にこっちも約束の場所に向かうか、本を待ち合わせ場所に持ってたりしてた。←ちなみに、2000年初めごろで、カナダで携帯はそこまでまだ一般的ではなかったし(日本はガラケーの時代)、昔の待ち合わせって、まぁ、そんなもんでしたw。)、
その子は、華人さんでカトリックの子だったんだけど、インドネシアって、1998年頃だったかな?華人さんに対し色々あったじゃない(自分は、別に背景がっつり知らないし、外部の人間だから、それについて語るつもりはない。)、
その子、なんか家族の未来をすげー考えてて、むこうに彼女(婚約者)もいて、まー、これがまた、その彼女一筋の人でね~、
中国人の当時の女友達が、実はその子のことをとても好きだったけど(その中国人の女の子も、それはそれはすごい真面目な子で、超きちんとした子なんだけど、そんな子もファンになるくらい(ちなみに、その子にも当時、BFが本土にいて、卒業後、結婚し、今は、たしかオーストラリアで仕事をしてる)、まぁ、本当、中身がいい男だったんだよね。
家族の期待を一身に背負い、まぁ、死に物狂いで勉強してたけど(本人申告)、でも、それでも、悲壮感とか、不思議に、まったくなく、いつも雰囲気は常に本当おだやかで、
卒業する前、インター出の同じ留学生のタイのお嬢様から、「●●(その子の名前)、無謀にも、トロントに(お金もろくにもってないのに)仕事を探しに行ったけど、さすがに(その短期間でみつけるのは)難しいと思う…。」と心配されながらも、
…奇跡的に大手の企業に入り、その後さらなる転職にも成功し、彼女と家族を呼び寄せ、パパさんにむこうでなってるんだよね。
ちなみに、当時のインドネシアの色んな社会の話については、自分は昔も今もまったく詳しくなく、本人からちょろっと聞いただけで、その後、本を読んだりはしたけど、その浅い知識で、だれがどーだとか、政治がどーだとか、
まー、それぞれの国で色々なことがあり、さらに国際情勢の絡みもあるわけで、…でもね、個人ってのはさ、常に(国籍問わず)、なんとか自分の家族や自身の生活をよりよくしようと頑張るもので、その子とその家族にとっては、出ることが家族のためを考え、最善と思っていたってことなんだと思う。これは、インドネシアを批判するものでは全くないですし、まー、20年後の今の正解ってのは、よくわからないし、きっと、これからも、彼は、柔軟に生きていくんだと思う。
で、その当時の自分…。
本当、まー、他にも色んな国の留学生と接したけど、自分さ、アジア人のくせに、アジアのことをあまりに知らないなーと思ったし、まー、色々恥ずかしかったのは、他の場面でも感じたし、
例えば、中国、台湾地域についても、その時、まじ、知らんわwとそう思ったし(だから、まぁ、台湾に卒業後、氷河期で就職もなかったし有償(=つまりお金がもらえるってことで)で実習生しに卒業後に行ったわけですよ。
当時のカナダのその大学って、世界各国の留学生がいて、大体みんな同じ年頃なんだけど(たまに、社会人学生さんもいたけど)、同じ学校の学生やってても、本当、みんなバックグラウンドが全然違ってて、
大学で自分は学んだのもアメリカ研究で、アメリカへの留学経験はあったけど、むいてた方向がまだずっと欧米だったから、色々、ご近所を知りたいと本当、思ったし、
自分もね、人としてその子が本当好き(異性とかなくね)でね、
若いころって、まだ「がむしゃら」で、「無鉄砲」で、その分、ある意味、「傲慢」で、
でも、年は全然かわらないのに、ともかくいつも穏やかで、色々無知で失礼なこともいった気がするけど、一度として、誰に対しても、彼が声を張り上げ、おこったりしてるのもみたことってなく、
…なんで、こんなに人間ができてんだろーなって、本当、思ったんだよね。
あと、その大学って、数万人いる学生の中で、日本人はわずか10人いるかくらいしか当時いなかったけど、同じ日本人留学生で仲良かった子に、これまた、日本人とインドネシア人のハーフの子がいて、
あんまり、その子は、インドネシアの話をしなかったけど、そんなのもあって、知りたいなって気持ちがむかしからすごく強くあったんだよね。
で、その後、大学院卒業し、職にあぶれ、台湾でインターンし、途中日本で契約社員で小金を稼ぎ、根無し草みたいにシンガポールに現地採用でたどり着き、
まぁ、最近、よくぼやいてますがね、
自分て、運転免許ないじゃないですかw
シンガポールで営業の仕事についたけど、そもそも近隣のマレーシアの工場にすら、車で自力で行けなくて、採用された時、
「運転免許くらい日本人なら誰でも持ってるだろうw」
と思ってたらしく、日本人駐在員は、事前に確認しなかったことを後悔してたらしいけどw、
それもあって、これまた何かのご縁でインドネシアの担当(むこうでは車を貸し切って、異動するから免許不要だったからw)に短い期間だけど、なったのよ。
当時、まー、危険な地域とかって、そんなくくりではなかったけど、
その頃、タイで情勢不安があったり、今は知らんけどその勤めた会社では、インドネシア関連は、まだ危険手当(ちなみに、自分は、現地採用で、同じ日本人であっても、その辺、まったく関係なく、もらってたのも円換算で月20万くらいで、それ以外なんの補助もなんも別になかったw)が出てたりしてて、
当時の駐在のおじさん曰く、若い(昔はMOMOも若かったw)女性が1人で出張に行くような地域では(リゾートとかは別として。)ないとか、心配されたけど、
…そのくせ、車の免許持ってないから役に立たねー的な、すげー文句を言われるから、まぁ、むかっぱらで、よくわかんないけど、なんとかなるさとね、無謀にも一人で出張に行きましたよ。
(なんか最近、海外駐在員とか、いっしょについてった配偶者の問題をたまに糞メディアが騒いでるけど、まー、それもわからなくもないけど、その前に、そんな保護なんてない中で、現採日本人をその昔、たくさん安く使ってたし(新卒も大量にいたよなw)、なんだかな-とも思わなくもない(本音)。その頃、日本人現地採用って、東南アジアや中国本土やら、まー、今もいるんだだろうけど、相当な人数いて、みんな大抵20万いくかいかないかの給与レベルで、なんの手当もくそもない中、働いてましたよね~。「研修ってなにそれ?おいしいの?」ってな感じで。)
まぁ、でも、結果的に別に危険な目には一度もあわなかったし、いつだったかドライバーさんを会社指定以外の会社の人に頼んでしまい、大目玉食らったりしたけど、トラブルには、ほとんど巻き込まれず、お話好きなドライバーさんに、色々教えてもらったり、
一人旅ってのは、昔から、海外でも貧乏旅行で色々してたし、気を付ける部分は抑えてたし、大きなことはとくになかったんだけどね。
当時のそのインドネシアの取引先にはね、インドネシアが大好きで住みついたインドネシア現地採用歴の長いインドネシア語べらべらの日本人女性がいたり、
まー、カッコいいんだよね、そういう人って。
もう、そんな生き方は自分にはむりだけど、言語や文化を学んでるとその「妄想世界」にくらいは浸ることもできるし(笑)、力強く、でも、「らしく」生きてた同郷人との出会いってのは、今でも鮮明に覚えていて、
ジャカルタも、今やまた全然昔とは全く違うんだろうけど、シンガポールの均一的な感じと当時はまた違うエネルギッシュな、なんかそんな街の雰囲気にも、すごいたくさん力をもらったし、
言語的に、インドネシア語とマレーシア語って、大阪弁と東京弁みたいな違いらしいし、
ちょっと、インドネシアの話からはずれるけど、知り合いも一人もいないのにシンガポールに転職面接ではじめてシンガポールに行き(まんま次の月から働いたけど)、
はじめて行ったときに、とまったホテル従業員にマレー系の人がいてね、
その屈託ない明るさとかジョークとか、不安いっぱいな自分は、すごい救われ、
…兄弟言語のインドネシア語がわかったら、マレーシアやシンガポールの違った面も、もっと知れるのかなとずっと思ってたんだよね。
シンガポールにいた当時って、まぁ、うまくはないけど中国語を多少そんときも使えたってのもあり、比率的にも華人の人が多く、自分の付き合いの大半もそうだったんだけど、
それはそれでものすごいいい経験をさせてもらったけど、
でも、
今、インドネシア語を勉強しながら、まー、テキスト欄外コラムや文化やらなんやらの話とか読むと、本当、知らないことだらけで、言葉もそうだけど言葉を学びながら、やっぱ、当時、知れなかったことを知りたいなと思うし、
ビンタンに、昔、週末に友達(現採女子の唯一の楽しみ)とシンガポールからよく行ってたけど、そこでは基本、英語で毎度会話してて、
「インドネシア語を勉強しないの?」
って、よく言われ、短期間自腹で当時シンガポールにあったインドネシア語クラスに通ったけど、仕事が忙しく通い続けられず、挫折した過去があり、まー、今さらながら、改めて学んでますよ。
そもそも東南アジアって言語が本当に多く、マレーシアやシンガポールの人ってのも、多分、少なくとも2、3言語以上みんな話せ(中国語ってのも、まー、北京語以外に色々あるしね。)、
インドネシア人とひとくくりに言っても、インドネシアって本当、言語がたくさんあり、そのインドネシア語って共通語でみんな会話してて、
それってさ、この言語をしることで、全然しらなかった世界のことをたくさん色々知れるってすごいことで、まぁ、中国語も、別に、中国や台湾じゃなくても世界中に話す人がいて、
ジャカルタ以外にマレーシアのペナンにも(これはアクセスが飛行機なもんで)出張で当時よく行ってたけど、そっちの担当者は華人さんで、ビジネスでは基本英語だったけど、やっぱり、時々、中国語使ったりしててさ、
ルーツってのもそれはそれでそれぞれ大事なもので、●●系XX人て、●●人であり、XXのルーツがあるってことで、
日系の人だって、たくさん世界にはいて、言葉って、やっぱり、その人のアイデンティティを形成するものでもあったり、単なる、「単語」じゃなく、それを通じて、その文化の根底にある考え方ってものにもつながってたり、
…話が散らばったけど、冒頭のインドネシア人の友達の寛容さとか、もちろん、いい人、悪い人はどの国でもいるけど、でもね、人間的な力強さや優しさって、別に国力とか経済とか、そんなもので単純に決まるわけでもなく、
単純にすごい魅力を感じるんだよね、自分的に。
色んな価値観や考えがあり、だから世界って、人って、生きるのって、本当は、面白いわけで、まぁ、なんでも、正解って一つとかではなく、
自分的に単純に、自分と違った世界の見方や考えを本当「知りたい」ってのがあり、それには、別に、なにが上とか下とかっていうのはなく、そう前向きに考えられるその「人」の強さは、なんだろう的な感じで…学べればよく、
それによって、自分自身も、「心」が豊かになれればなと思うのですよ。