MOMOのインドネシア語&時々中国語学習&人生観

楽しく人生を自分の為に生きる道

株価最高の日に生きるのさえ辛い国(2つの記事)。

MOMOです。

 

 

うーん、まだ、負のループ。

 

 

でも、今後、インドネシア語動画をたっくさん見ようと思います。別に、自分は、戦力外(笑)なので、勉強してなにをするわけでもないけど、最近、知ったけど(今更)、インドネシアは、これから色々未来が有望っぽいね。(中国語の勉強も、ぼちぼち復活中。)

 

 

…ところで、昨日、株がバブル以来最高で、相変わらず盛り上がってたけど、うーん、なんかね。(いや、もう、マジで米国やばいから、なんかむしろ怖い…。)。

 

 

で、そのニュースの陰で、開いてその記事詳細は読めなかったけど、

 

 

見出しからみるに、46歳男性が数日ご飯も食えなくて、コンビニで包丁で店員を脅すも、そのまま徒歩で逃走(?)し、捕まったらしい。

 

 

この二つのニュースが同日に流れる国…って、なんなの?

 

 

で、ちょっと、いつものごとく回想の古い話ですが、

 

 

氷河期世代の自分は、大学卒業する数か月前に元カレが自●したんだけど、その人、少し年上の人で、もともと首都圏の人ではない北国の人だったんだけど、

 

 

たまたまバイト先で知り合いましてね(工場のピッキングの短期バイトで、まー、当時、バイトを掛け持ちで数えきれないくらいたくさんしてたから、その一つ。)、

 

 

本人は、このままじゃいけないと、親にも頼らず、必死にお金を貯めて、専門学校に入ろうと頑張ってたんだけど、こっち出てきて一人孤立し、

 

 

責任感がものすごく強いまじめな人でね、

 

 

そんな彼が、ある冬の日に住んでたマンションから飛び降り、この世を去ってしまいました。

 

 

…実は、自分、その直前、ちょっとした口げんかを彼としまして、まー、自分もその時って、大学卒業まじかで、卒論抱えてたり、色々思うところがありで、

 

 

その日、「飛び降りる。」って言って、非常階段をかけあがっていったんだけど(その場にいたんだよね。)、心の中で、まさかね、と思いながら、追いかけることもできず、

 

 

その近くのコンビニに駆け込んで、そこで近くの交番を教えてもらい、助けを求めたんだけど、もうね、遅かったんだわ。

 

 

(それから半年くらい自分もPTSDみたいな状態になり、その半年後に、大学院(カナダ)に行ったんだけど。)

 

 

警察署で最初にその遺体を確認したのも自分で、飛び降りた割に顔は、すごくきれいな顔してて、それ見ても直後は、なんかよく呑み込めなかったんだよね。もともとすごいイケメンで、それこそ街をただ歩いてても、当時人気雑誌とかによく声を掛けられ、何度か掲載もされてたくらいの人で、

 

 

本当、「きれいな顔してんなー。」くらいしか、思わなかった。

 

 

現実なのか夢なのかよくわからない茫然自失の中、しばらく警察署にいたんだけど、その後、一度も会ったことのなかった田舎のお父さんとお母さんがきてね、それこそ着の身着のままとわかる格好で、

 

 

おかーさんがその場で泣き崩れて、それで、実感したというか、もうね、なんてことしちゃったんだろうと思い、

 

 

それからずっと頭の中で、あの口げんかのせいで、自分がコロシちゃったな、と、

 

 

それから何度も何度も、その日のやり取りをどうすればよかったのか、ずーーーーーと頭がぐるぐるぐるぐるし、しばらくは、何日も眠ることすらできなくて、人間て、本当につらい時って、眠気までなくなるんだね…。

 

 

数日後、その彼の通夜とお葬式に出るのに、新幹線とローカル電車を乗り継ぎ、そこからは公共交通機関がなかったからタクシー使って(たしか、タクシー代●万円だった)、10時間以上かかったかな?その北国のおうちに行ったんだけど、

 

 

彼の同級生がそこにいっぱいいて、その彼、長男で、下には他に男の子が二人いたんだけど、この二人もおだやかないい子で、ともかく、すごくにぎやかで、

 

 

こっちでは友達らしき友達もいなかったけど、本当、そこはあたたかくて、逆に、それが更に悲しく、その時、誰からも自分は責められなかったし、誰にもとがめられなかったけど、なんか自分が許せなくて、

 

 

後日談で、留学直前までやってたとある塾講師バイトの経営者にその話を打ち明けてね(やさしいおじいちゃんみたいな経営者兼講師)、

 

 

「その時のあなたの力ではどうにもならなかったんだよ。」

 

 

って、言われ、それで、まー、本当、救われたんだよね(もちろん、すぐに立ち直ったのではないけど、その言葉をもらってから、少しずつ。)

 

 

で、2000年代はじめのその頃って、年間の自殺者は、日本で3万人をゆうに超えていて、その中に若者も結構な数いたんだよね。彼以外にも、実は、その後数人知り合い(若者)がこの世を去ってるんだけど、

 

 

若者の自殺が最近になりだいぶ騒がれるようになったけど、2000年代の若者の生き辛さってのも、やっぱり半端なかったとは思うのよ。(まぁ、これは、今の若者もだし、本当、なんとかならんのかなーとは、思う。)

 

 

思い出ついでに、亡くなって数か月後、大学の卒業式まじかの月命日だったかな、ふと、本当、自分では家に帰るつもりだったのが、なぜかそのマンションにバイトが終わってから1人で行ってたの。

 

 

別に、ただ、そこで座って茫然と色々考えてただけなんだけど(なんか、そこにいる気もして。)、その時、自分には大学の友達やら家族がいたから、みんなが必死に自分を探してくれて、

 

 

そもそも、そのマンションの住人じゃないから中には入れなかったし、ぼーっと、エントランスの傍で座ってただけなんだけど、警察の人に見つけられ、その警察の人も経緯を知ってたからすごく心配してくれて(なんかそういうことがあると、その「現場」に戻る人が多いらしい)、その時、

 

 

大学の友達とおかんに泣かれた。

 

 

本気で、立ち直るまでは(まー、一生忘れないけど)、たぶん、1年以上かかったけど(その後、氷河期の悲惨なウルトラ就活やったんだから、すごいよねw)、

 

 

今でも思ってるのはね、

 

 

いつかね、きっとまた会えると思ってるから、一生懸命最後まで生きて、その時には、自分の生きざまを伝えたいと思うし、先に逝ったのを後悔させたいんだけど、

 

 

でも、あんま世の中変わんなくて、

 

 

…なんで、今日、この話を書いたかというとね、

 

 

あれから20数年たった今の日本て、やはり、基本はあの頃のまんまで、最近、支援って騒ぐのは、一部が中心で、まー、別に、世代や性別に限らず、支援が必要な人には、支援すべきと思うけど、

 

 

なんか世の中がひどくスルーしてるから書くけど、

 

 

単身者で、同世代とか、一人ぐらしの人も多く、仮に、親といっしょに住んでいても、仕事がなければ、もろに社会から切り離されてたり、働いていても職場ってのも、まー、最近は、正社員ですらも人間関係って希薄なところもあり、

 

 

若者支援も子育世帯の苦しい人の支援も、高齢者の支援も、もちろん必要だとは思うんだけど、学校に行ってるわけでもなく、子育てしてる人みたいに色んなコミュニティーと接する機会もなく、更に、今、親世代が高齢化し、最近は、「自治体」や「民生委員」なんてのも全く機能してないところばっかで、

 

 

その孤独ってものすごいと思うし、

 

 

その元カレは、当時24歳だったけど、田舎から一人で出てきて、あの2000年代初頭の日本のブラック社会の中で、悶々と考えすぎてるとこがあって、

 

 

その彼が今も仮に生きてて、もしその後の20年以上、あのままの孤独がずっと続いていたとしたら、それでも自分は生きろって、言えたかな?どこかで報われたのかな?と、ふと、考えてしまうんだよね。

 

 

居場所がない人、SOSを求めたくてもそれができないほど追い詰められてる人がこの国にはいっぱいいるんじゃないかと思うんだよね。

 

 

ちなみに、よく弱者男性VSフェミみたいな話をネットで見かけるけど、

 

 

ジェンダー(文化的性差)って、男女両方を考えるべきで、例えば、「女性活躍」って言葉は自分は嫌いなんだけど(女性も男性も輝く社会でいいと思うし、なんで、女性だけなのか意味が分からん。なんなら、人間が輝く世界にしてほしい。)、思うに、日本は、今、大多数の男性も女性も不幸な世の中になった気がする。

 

 

そもそも文化的価値観って、ゆっくり変わってくモノで、それをトップダウンで、(西側)スローガンだけは立派だけどやってきて、でも社会が変わるには時間が必要で、まー、自分は、高学歴、女子、超氷河期で、男子学生よりも数倍、就活ってのは、当時、厳しくて、

 

 

「総合職」しか、ほぼ選択肢がないけど企業は女性をほとんど採用せず、「一般職」ってのがなくなったせいで、活動自体もなおさらやりにくくなったり、

 

 

でも、これ、今の「年齢」不記載求人といっしょなんだよね。実際は、40歳以上は、お払い箱の会社もはっきりは書かないで、当時も、性別記載なんてないけど(今もそういうところあるけど)女性はそもそもはじめからいらないところが多かった。

 

 

愚痴ついでに、そういえば、当時6年以上もかけてテキサスだかの大学出た男子は、なぜか●ヨタの面接に呼ばれても、ストレートに学校出て大学院まで出た自分や、京大卒の女子とか、これは、とある会社グループディスカッションかなんかの話だけど男女別でかなりあからさまで、

 

 

まぁ、子どもを産む女性は、どうせすぐやめるんだろと採用されなかったり、高学歴女子より、若い子(高卒や短大)の方が女子はよかったり、学校教育では男女平等といいながら育てられ、でも、社会に出るとその社会の価値観は歪んだまんまで、女子は、教育を受けた方が、むしろ、日本社会では価値が全くなくて、何を当時の「大人」がしたいのかさっぱりわからなかった。

 

 

その昔、「男女雇用機会均等法」ってのができてから、更に、その当時の女性って生き辛くなった気もするし、先輩のバブル入社の女性にしても、うらやましくもないんだよね。彼女たちって、バリキャリになるには、「男みたいに働く」しかなく、なんかゆがんでて、色々並べたい・言いたいことはたくさんあるけど、

 

 

でも、一方で、女子の中でも、まだ専業主婦になりたいとか、花嫁修業を卒業してからするとか言ってた子がリアルにいた時代でもあり、

 

 

まぁ、ぼんやりと、男女ともに、将来、結婚して、子どもを産んで、家を買ってなんて価値観が、がっつりあり、

 

 

当時の男子も、また、「女性を養う」のは自分って価値観の人もいたし、自分の元カレも親に甘えたくないとか、学校まで出してもらって、たいして稼げない(よい職に就けない)自分がなさけないとか、しかも長男で、そのプレッシャーって、

 

 

それはそれは女性以上で、

 

 

今も、思うに、たとえば、パートに自分が出ても、主婦のパートさんもたくさんいて、別に、自分をちらっと見ても、きっと誰もなんも思わないけど、男性の場合は、そのハードルがあがるというか、

 

 

もちろん、それに適応できた人もいるけど、レールから外れるとなかなか取り返しが難しい社会で、その教育で刻み込まれた当時の価値観が故に、男性こそ、更に精神的に、もろに打撃を受けた人が多くいるようにも思うし、

 

 

自分の世代の男子ってのも、この日本で生きるのって相当きついよなーと、本当に思うし、それは、過去も今も変わりないように思う。

 

 

思うにね、働いても手取り15万以下ってのも、たくさんの人の給与額を人事屋仕事してきたから見てきて、そういう人が、世の中に相当数いたのは知ってるし、これ、本当、男女問わずいるのが今の本邦ですよ。

 

 

(女性も一人で自らを支えていく覚悟もないまま社会に出て、そのままで来てしまって、まー、どちらも、大変だけど、経済面では、女性のシングルも更に大変な面もあるよな。)

 

 

その46歳男性の記事にね、ちょっと見かけたコメントで、やっぱり「ニート」とか色々さげすむ言葉を書く人がいて(大半は、同情的な感じだったけど、一部ね)、自分も、その同世代の男性のことは知らないし、その人がどういう人とかも記事も見てもないし、読んだところで、よくわからんけど、仮に、「ニート」でも、別に他人にそれで迷惑をかけてなくて、他の同世代の事件記事とかもいつもそうなんだけど、上から目線で、日本て最近、自分が裁判官みたいに誰かを批判する人が多いけど、

 

 

その犯罪をおこした人を罰したりする権利は「私人」にはないし、偉そうなことをいう人が多いけど、思うに、なんか事件が起こったら、そういうことが起こらないよう、人を裁くのは裁判所やらの仕事で、

 

 

社会は、そういった事件が起こらないよう、今の社会ってのをどうすべきかを考えるべきだと、いつも思うんだよね。

 

 

同情してる人が大半だったけど、これまで過去に同世代の悲惨な境遇の人の色んな事件があり、でも、いつも日本社会って何も変わらず、そういうのをずっとスルーし続けて、たまに悲惨記事をエンタメみたいにながし、でも世論も政治もそれを30年以上ろくに対策も考えないで、放置して今があり、この国って、本当、なんなのって思う。

 

 

ちなみに、

 

 

「頼れる親がいるなら、頼ればいい。」って、自分は、その亡くなった彼氏に言ったよ。本人はそれでも渋ったけど。

 

 

というかさ、最近、多様性とか色々騒いでいるけど、でも、本来、多様性って、色んな立場の人がその人らしく生きていける社会で、今の日本て、例えば、40、50代の「ニート」も、社会に出てくれば、それを暖かく受け容れるような寛容性ってそもそもありますか?

 

 

抱えてる家族も高齢化してて、以前から、言われてることだけど、それを本気で救おうって、動き、まともにありますかね?

 

 

日本の会社や政府の宣伝する多様性ってのがね、一部の女性活躍、キラキラ子育て、LGBTとかそんなのだけで、なんかね、一方で、

 

 

「弱者男性」と言って、一生懸命生きてる人を社会がさげすんだり、「ニート」だ「こども部屋おじさん(おばさん)」ってその言葉も、なんか、それ、ひどくない?と思うし、そんなのメディアが流して、さんざん人を傷つけてる国で、なーーーーにが、多様性だと思うよ。

 

 

あと、子どもを産まない女性は価値がないみたいなそんな発言も、政治家でもいたけど、ここ数十年もの間で、ずっときいてきて、子どもを産めないような社会作ってきて、本当、多様性もくそもない差別主義者ばっかの社会に見えてなりません。

 

 

「多様性」って、なんか、そういう差別主義者又は、実際、多様性もない企業から出る言葉に思えて、最近は、その言葉きいてるだけで、本当、むかつくね。

 

 

しかも、日本社会って、本気で支援が必要な人にろくに手を差し伸べたこともなく、追い詰めに追い詰めて、実際、自分も30代で、実家で介護してた時に、外から見れば、自営業をしてるのがわからず、相談をする場所もなく、近所の人の心無い言葉に傷つけられたけど、

 

 

これ、多様性がある社会?ただの「いじめ」社会じゃないかと、思うんだよね。

 

 

 

2年弱、Xやったけど、「ネトウヨ」って言われる人をそこで初めて見たんだけど、2000年代、2chで、「外国より日本まし」論て、結構やってて、見たことがあったんだけど、

 

 

思うに、当時のその「やせ我慢大会」は、生き辛い日本社会の中で、若者がなんとか、そう慰めながら(それが人種差別やらなんやらにつながってるのは問題だけど)、こらえてたように自分は感じてましたよ。

 

 

で、年々それがひどくなってきて、しかも、これ、おそらく、色んな政治家やら宗教団体にも利用されてたんですかね、

 

 

だけど、考えてみれば、宗教2世とか、ジャニーズの被害者とか、どんぴしゃに自分らの世代で、色んな組織がそんな被害者も利用し、ネット世論て、だからなのか、いつもあれにあれてるけど、

 

 

でも、中には、「助けてほしい」の裏返しの叫びに聞こえる人も結構いたり、

 

 

なんか、自分の世代の勝ち組の話をきいても、その構造の中でぶら下がって生きていくしかなく、可哀そうだなって思う人もいるんだよね。小さいころから、そんな大人になろうと思ってたわけじゃないだろうし、でも、そうしないと、生きれない国になってて、なんか、苦しそうな人もいるよね。

 

 

ただね、構造はわかるけど、でも、本当、誰かにその「負担」を強いて、それを大多数で正当化し、自分が助かればいいとか、救われない人がたくさんいるこの国って、やっぱり多くにとって生き辛い国だし、

 

 

ちょっと、話が広がりそうだから、これで今日はやめるけど、うちは別に富裕層ではないけど、ごはんには、まだ困ってないから、今日の記事チラ見して、ごはんくらいなら食べさせてげられるし(刑務所は入れた方がシャバにいるより幸せかな。)、知り合いなら、普通に、「ご飯、食いに来い!」って、誘うんだけどさ、

 

 

でもさ、

 

 

例えば、「子ども食堂」にしても、有志運営と聞くけど、

 

 

前に見た抗日(笑)中国ドラマで、お金持ちの学生の坊ちゃんが、ある村の貧困家庭に自分のお金を渡すんだけど、

 

 

それはそれで、すごくいいことでも、でもね、その坊ちゃん一人がその貧困家庭に寄付したって、救える人は限られていて、それじゃぁ、世の中って変わらないんだよね。

 

 

で、そのドラマでは、その坊ちゃんに先生が諭すのよ、社会を変えるために、「学べ」とね。(学生だからだけど。)

 

 

善意で、まー、子ども食堂にしても、動物愛護団体にしても、様々なそういう活動をしてる人が日本にいて、それは頭が下がる思いだけど(中には変なのもいるけど)、

 

 

でも、本当に、その人たちを救うには、…社会がやっぱり変わらないとだめなんだよね。

 

 

色々また話題がずれまくりましたが、

 

 

あれから20年ちょっとたって、この日本の株価最高と一部が喜んでる日に、20年前から変わらない、というより、更にひどくなり悪化する同世代の悲しい記事を見て、

 

 

ふと、

 

 

自分は、その元彼に「生きてれば必ずよいことがあった」とか、「努力が必ず身を結ぶ」とか今の日本をみて言えないし、

 

 

仮に、本人が今、隣にいたら、もしかして、ずっと、生きて苦しい思いをしてたんだろうか、とも思えて、なんというか、なんか、すごくすごく悲しくなりました。