MOMOです。
コーヒーブレイク中ですがね、中国語検定2級を受けたときに、筆記対策は、トレーニングブックを使ってたんだけど、筆記対策のしか持ってなくて、テスト前に、「リスニングがどんなレベルの問題か見当もつかん。」と家族にぼやいてたら、
昨年、リスニング用のトレーニングブックを試験直前(汗)に家族から誕生日プレゼントにもらってね。
まぁ、でも、試験直前期に萎え、試験前2か月くらい、ほとんどなーんも中国語やらず、中国語ドラマすらもみず、その問題集も結局ほとんどやらずじまいで、
最近まで、本棚に積んでたんだけど、
(2級って、昔の2級(?)よりかなり簡単になってるのかな?(受けた感じ、かなり簡単に感じたし、昔の2級ってのも受けたことないし、知らないけど、前回、MOMOでも余裕で合格。))
…このトレーニングブックってのは、筆記用もリスニング用も、本試験より、レベルは高いようには思うし、
でも、それが故にやりがいはあるので、これをやると試験関係なく、身にはつきそうですかね。
最近、せっかくなので、やらずじまいだったリスニング用のもの(2021年にでたやつ)も改めて見返してますよ。新しい用語とかも色々あるし(筆記用のは10年以上前のもの。)、
会話の勉強にも、自分的に良い気がするし、時代が違うと言葉って変化するし、新単語とか面白い。
…あと、この本って、レベル的に、準1級対策にもなるし、基礎固めにもう一回見直しをしてます。
…さて、また、冒頭長くなりましたが、タイトルの英検1級の面接の話をちょっと。
おととし、英検1級を受けた目的は、んーーーー、これも昔、受けようと思って、本だけ、古いのを持ってたからで、まー、就活とかTOEICの方が~と(←超氷河期)か言われ、大学1年生で準1級合格して以来、
その後、英検て、ずっと受けてなくて、
まぁ、TOEICにしても英語に携わる仕事をずっとしてたわけではなかったから、その1級の面接受けたときには、既に、15年くらいまともに英会話すらもしてなかったけど、
…なんとかなったw
受けた目的も不純で、老後の趣味にいつか通訳案内士を受けるか考えてて(←で、やめたんだけどw)、
…1次の語学の試験免除がTOEICだと、受けるタイミングや、仮に、スコア有効期間中に受からなければ免除のために、何度もTOEICを永遠に受け続けなければならないのが面倒で(いや、スコアの有効期間ってあるじゃない?)、
お金の無駄だし、英検は、一生ものらしく、
それ以外に、亡くなったオトンの部屋にも英検1級の昭和40年代だかの本があって、片づけをしてたときに見つけて、「昔、そういや自分も受けようと思ってたよなー。」と、
親子2代の怨念もあり(?)、
無駄に時間をだらだら毎日過ごすより、今年は、英語、来年は中国語みたく、自分が本当は勉強したかったことを(資格取得に限らず、仕事目的でもなく)、後半の人生でできればと思ったのもありますかね。
ただね、学生さんじゃないし、仕事で英語も使わないし、最初に簡単に自己紹介をしたんだけど、
まー、その自己紹介も、何かで見かけた簡単な面接問答に自分を当てはめて話したんだけど、外国人の面接官に、
「なんで仕事で英語を使わないのか。」
とプチ不思議がられましてね。
面倒だから、
「氷河期世代なので、日本企業の大半に門戸を閉ざされ、いらないと言われましてね…(以下省略w)」
と返したらガンガンに不思議がられて、質問を更に返されるは、
隣にいた日本人の女性(年配の面接官)は、納得してて、「それは後で説明するわね。」的な涼しい顔をしてて、
…自分的には、自己紹介が一番難関でした。(あッ、採点には確か入らないけど。)
まぁ、実際の面接は、あの時政治トピックを選んで、ぼろくそに世界政治と日本政治の文句をぶちまけ、
ロジカルに話したわけでもないようにも思うけど、何気に一発で受かってたんだけどw
思うにね、
自己紹介とか苦手。というのも、日本って、結構、特殊だし、まー、男女ともに不幸な国だと思うから、あんまフェミみたいな声は上げたくないけど、
海外の大学院卒で、英語もそこそこ話せて、仕事で英語をまったく使わない日本人ってのが外国人面接官には不思議だったようで、
そういや昔、出稼ぎしてたシンガポールや台湾に住んでいた時も同じように思われ、なんども(海外の人に)不思議がられたけど、
…自分的に、こういうの話すのが一番面倒に感じる。(日本なんて、そんなもんですよと。)
まぁ、海外は夢の国ですか?というと、そういうわけではないし、ただ、普通に学歴もあり、頭もよかった日本人の友達の大半は、
やっぱり、海外にわたってる子が周りに多く、日本に戻ってきた自分は、特殊なのかもしれないし、このトピックで、永遠と色々グチグチ書けるけど、
時間は有限で、自分的には、楽しく続ける勉強が好きで、
昔、英語が一時嫌いになったのも、英語くらいしか文系の自分には強みがないからと、スパルタみたく、自分を追い込んで勉強し、
社会人になり、簿記の勉強したり、FPとったり、法律国家資格とったり、他にも色んなものをとってきたけど、
でも、そういうのって、ぶっちゃけ、そこまで面白くはなかったし、人に認めてもらうためとか、社会から認められるために、自分のすべてを犠牲にしてきた面もあったような気がする。
結果として、別に、そんなのとったからって、人生が大きく変わったわけでもなく、
認めてもらうために、更に、色んな興味もない勉強まで続け、でも、色々な面で都合よく利用され、更に差別され、なおさら不幸に感じていたのかもしれない。
今、インドネシア語を中国語と並行でやってるけど、実は、この言語は、昔からずっと学びたかったもの。
でも、そういう好きなことを学ぶ、「心の余裕」すらなかったのが、この10年近くだったんだよね。
ずっとできなかったことを改めてやりながら、「ああ、やっぱ、語学って、学ぶの言葉だけじゃないな。」と日々思う。
大した話じゃないけど、以上、本日の戯言ね。